遠賀川
 

遠賀川
筑豊の母なる川

遠賀川

遠賀川が育んだ穀倉地帯と水運
中世のブランド米「鎮西米」(近世の「筑紫米」または「筑前米」)はいかにして生まれたか?

穀倉地帯からエネルギー基地へ
川?が運んだ年貢米と石炭に見る筑豊の歴史

遠賀川の特定種を訪ねる旅

遠賀川の生き物


筑豊五郡
とは
筑前の嘉麻郡、穂波郡、鞍手郡、遠賀郡の4郡と豊前の田川郡
からなり、 遠賀川流域そのものです。
古代から近世にかけて、水運による物流が陸運によるものより圧倒的に有利なことは、江戸時代の北前船の活躍からもわかります。
それだけでなく、遠賀川そのものの特徴と、遠賀川を取りまく自然環境、社会環境が遠賀川水運発展の要因です。
・遠賀川の特徴:流域の勾配が緩やかで水量が多い。
〇日本に稲作伝来当初から稲作が発達(日本における稲作先進地)
○日本有数の埋蔵量を誇る筑豊炭田の存在 
○瀬戸内海を介して、政治経済の中心地近畿地方につながる物流ルート 
○中世、筑豊に近畿地方の有力寺社、貴族が競って荘園を持ち、筑豊と近畿地方を結ぶ物流ルート
○変化の激しい流域環境:古来、遠賀川は流域の変遷の激しいところです。特に近世以降、治水、利水のために遠賀川の改修がおこなわれました。
近代になって、石炭産業の発展に伴う水運の発展と衰退、環境汚染とその環境浄化の努力などが,現在の遠賀川の姿を形作っています。
 

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